2025年度 第61代理事長所信
はじめに
世界は、技術の発展とともに大きく変わりつつあります。2024年は生成AI元年とも言われ、我々の身近な生活において実際に体感するレベルでAIによる生活様式の変化が起こりつつあります。技術の発展はすなわち生活を便利で豊かにしてくれますが、手放しで喜べるものばかりではないと思うのは私だけでしょうか。便利さゆえに、自ら考えない、思考が停止してしまう、そのような瞬間が無意識に増えていることに不安とおそれを感じています。また、これも技術の発達によって、誰でもありとあらゆる様々な情報を、容易に手に入れることができるようになりました。しかしながら、無意識でいると情報の質を選別できません。溢れる情報を精査し、自らの考えを持つことが必要です。我々青年会議所会員は、地域にとってのリーダーでなければなりません。物、事、人に対して、思いを馳せ、寄り添い、夢を語れる人物でありましょう。
伝える伝わる共感する
庄原青年会議所は近年20名前後の会員数を維持しながら活動しています。青年会議所活動において、全国的に会員拡大が喫緊の課題とされているなか、庄原というこの小さなまちでこの人数を維持できていることは容易なことではありません。これはひとえに先輩諸氏の積み重ねてこられた信頼と信念によるものであり、必ず次の世代に引き継いでいかねばなりません。私には、青年会議所の活動はすばらしいものであると胸を張って言える自負があります。しかしながら、青年会議所の世間における評価、評判は必ずしもその活動に連動されたものではあらず、もどかしい思いをした会員は少なくないのではないでしょうか。では、なぜこのようなズレが生じるのか。正しく伝わっていないからです。青年会議所は地域になくてはなりません。まずは我々自身が庄原青年会議所会員であることに今以上に誇りを持ち、胸を張って心から一緒に活動しよう、と自ら声をかけることのできる組織であるべきです。そして、そのような組織には自然と人が集まります。また、会の在り方自体新しい考えを柔軟に取り入れながら変化し続けなければなりません。青年会議所は若手経営者の集まりであるとイメージされることが多くありますが、様々な立場、役柄の人が参加するべきであり、今以上に開かれ、受け入れることのできる組織であるべきです。そのために必要な変化は厭わずに進めましょう。思いが一方通行であると伝えたい人に届きません。思いを巡らせ、伝わるにはどのような方法がよいのか、見せ方、伝える手段をまずはあらためて考え、伝わるべき人に伝わり、相手のことも分かりお互いに共感することができれば、新たな仲間は自然と集まるはずです。
こどもたちが自ら希望溢れるみらいを考えるために
私自身庄原で生まれ、この自然豊かな田舎で育ちました。小さな頃から、漠然と都会に対する憧れを抱いていて、それはいつしか無意識の中で、田舎に暮らすこと自体がコンプレックスであるかのように感じていたように思います。このように感じていた同郷の方は私のほかにもいらっしゃるのではないでしょうか。今考えてみれば決して引け目や劣等感を感じる必要はないのですが、少なからず当時はそのように感じていました。都市一極集中という世の中の構造もあって、都会はすごい、かっこいい、と短絡的に思い込みがちで、この風潮は今の世の中にも顕在しています。先にも述べた通り、決して都会と田舎にそれだけで優劣はありません。都会にあるものが田舎にはありませんが、同時に田舎にあるものも都会にはありません。今、次世代を担う子どもたちには、庄原で生まれ育つことをどうか卑下しないでほしい。どうか、誇りと自信をもって成長してほしいです。しかしながら、生まれ育つ土地を愛する心、愛郷心は誰かに言われて生まれるものではありません。見て聞いて感じたこと、体験や日常での些細なことから、自然と心に芽生えて育つものであると考えます。我々大人世代に求められることは、生まれ育つ地に対する愛着を、自然と感じることができるようになるようなきっかけや体験、日常を創ることです。そのためには、こどもたちに働きかける我々自身が今以上に故郷に愛着や誇りを持たねばなりません。このこと自体も一朝一夕で得られるものではなく、双方に作用することが求められます。冒頭でも述べたように、技術の発展とともに様々なことが便利となり、子どもたちの生活においても良くも悪くも影響しており、子どもたち自身が自分で考える力や問題解決力が弱くなっている、といった問題提起が至る所で起きています。子どもたち自身が自ら考え、思いを馳せることができ、自分たちの思い描く希望溢れる庄原の未来をかたち創り実現する、その手助けが我々大人の役割であって、まさにその活動が、我々青年会議所に課せられた使命です。
思いを伝播させる
庄原という地域は、中国山脈の真ん中にあって、過疎化の進む典型的な中山間地域です。人口減少少子高齢化、災害の激甚化、経済格差の広がりなど、挙げだせば枚挙にいとまがありませんが、およそ日本全国で起こっている社会課題のそのほとんどに直面しています。例えば人口減少を考えた際、実際に我々の生活における課題感は、働き手がいない、子どもが少ない、まちに活気がない、などでしょうか。出生率が低下し、人口が流出する、これが問題の表面的に見える要因ですが、実際のところは感じるもっと深くに本質的な課題があるものです。働き手がいないことが課題の本質なのか、仕事に魅力がないのかもしれない、そもそも働き手は本当に必要なのか、などのようにです。インターネットは非常に便利なもので膨大な情報に容易にアクセスすることができますが、すべての答えは持っていません。自らの手で足で、そして見て聞いて、問題の本質を掘り下げ、見極めなければなりません。 危機感をもつ人間は想像する以上に多くありません。だからこそ多くの課題が課題のままになっています。我々青年会議所は地域を思い危機感をもって手をあげるリーダーです。また、同様の課題意識を持つ人を結びつけることが我々にはできます。不安感を不必要にあおるのではなく、より良い未来のために地域の課題について真剣に取り組む姿勢が共感を生み、市民の中で問題意識が生まれれば、自然と協力者や賛同者が増え、最初は小さかった力も次第に大きくなっていきます。そのための市民の意識変革こそが、我々青年会議所に求められているものであると考えます。 私は、大学進学を機に庄原を離れ都市部で暮らしたのち、この地に戻ってきました。まちの衰退もおおいに感じたことを記憶していますが、それよりもなによりも、帰郷した最初の春には青々とした緑の木々に、秋には黄金色に輝く稲田に圧倒されて、こんなにも感動的な地域だったのかと思いました。これは今でも季節が変わるたびに感じています。このようには、こどもの頃、暮らしていた頃は感じていませんでした。我々のまちには、暮らしている我々には感じることのできていない地域資源、地域価値が必ずまだまだ眠っています。庄原は全国的に知名度もなければブランド力も決して高いまちではありませんが、だからこそ大いなる可能性を秘めています。様々な角度から地域を見つめ、その価値を掘り下げ、地域価値を見つけましょう。
思い馳せる
2025年度、庄原青年会議所は創立60周年を迎えます。この庄原の地にて、60年というとても長い歳月、青年会議所をたゆまなく紡がれてこられた先輩諸氏に敬意を表すとともに、また次世代にこの活動のバトンをつないでいく大きな使命感を抱いています。 冒頭でも述べましたが、地域には青年会議所が必要です。また同時に、必要な存在でなければなりません。では、地域が青年会議所に求めるものとは。青年会議所の活動は、他の何かによって変われるものではありません。人と人をつなぎ、時に自らを犠牲にしながら利他の精神で地域のためをこそ思い活動できる団体組織は唯一無二です。地域に今必要なものは、私はリーダーであると考えます。多くの人を巻き込み物事を動かしていく力、人を動機づける力こそがリーダーの力です。人の思い、物、事柄に対して、また活動をともにする仲間に対しても思いを馳せて、思いやり、思いを巡らせ、そして寄り添い、困っている人を見たら馳せ参じるような、そのような青年経済人でありたいです。